📌 30秒で分かる中身
明治の作曲家。東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)を出て、1901年に文部省留学生としてドイツのライプツィヒへ渡ったが、入学から数か月で肺結核を発病して音楽院を退学、翌1902年の秋に帰国し、1903年に大分で亡くなった。満23歳。その短さで書いたのが『荒城の月』『箱根八里』『花』(春のうららの隅田川)『お正月』。日本人なら誰でもどれかは歌えるのに、存在が確認されている作品は34曲(2022年時点)しかない。当時の唱歌は外国の旋律に日本語の詞を当てたものが多く、日本語の詞を前提にした旋律を日本人が自分で書いた最初期の例とされる。死の年のピアノ曲『憾(うらみ)』が事実上の絶筆とされる。
✅ 使える知識
春に『花』が流れた時、卒業式・入学式のシーズン、大分・竹田の岡城の話が出た時。「若くして死んだ天才」の話題でモーツァルト(35歳)などが出たら「日本には23歳がいる」で持っていける。日本語と西洋の音階をどう噛み合わせたか、という技術寄りの話にも展開できる。
⚠️ 注意点
「これも滝廉太郎の童謡だよね」と『ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか』を挙げるのは外れ。あの歌詞のほうは文部省唱歌『鳩』で、作詞作曲者は不詳。滝の『鳩ぽっぽ』は歌詞の違う別の曲(ただし滝の曲を下敷きにしたという説はある)。確実に挙げたいなら『お正月』。
💣 これだけは言うな地雷
「『荒城の月』は滝が大分の岡城を見て作った曲だ」と断定するのが一番危ない。この曲は土井晩翠の詞が先にあり、そこへ曲を付ける形なので順番が逆。晩翠自身は仙台の青葉城や会津若松の鶴ヶ城を思い描いたと語ったとされ、詞のモデルの城は一つに確定していない。さらに今みんなが歌っている旋律は、大正期に山田耕筰がピアノ伴奏を付け、調やテンポも変えて編曲した版。原曲にあった半音(♯)が1か所取り除かれているのが一番分かりやすい違いで、変わったのはそこだけではない。
🕰 同じ頃を生きた人
