🔬 科学
1640頃-1708
関孝和(せき たかかず)
📌 30秒で分かる中身
江戸前期の数学者。日本独自の数学「和算」は、前の本が解けなかった問題を次の本が解く、という積み上げで進んできた。関の『発微算法』も、先に出た沢口一之の本が残した問題に答えたものだ。その流れの上で、関は書き方そのものを組み替えた。それまでは算木という棒を並べて解くため、扱える未知数がひどく限られていた。関はそれを紙の上の記号の式に直し、複数の未知数を含む方程式を扱えるようにする(傍書法・点竄術)。1683年の『解伏題之法』では、連立方程式を解くための計算表(のちに行列式と呼ばれるもの)にあたる考えを出している。ライプニッツが同じ概念に触れたのとほぼ同じ頃で、互いを知らないまま同じ形に着いている。
✅ 使える知識
同時多発的な発見の話題。ダーウィンとウォレスの進化論のような例と並べると効く。関はもっと極端で、地球の反対側の別の文明で、同じ数学の概念に同じ頃たどり着いている。「江戸時代の日本の数学は遅れていたのでは」という誤解を正すときにも使える。
⚠️ 注意点
「関孝和が微積分を発明した」と言った時。和算にも曲線や円を扱う技法(円理)があり、弟子の建部賢弘らが発展させたが、ニュートンやライプニッツの微積分と同じものではない。「日本のニュートン」という呼び名も後世のキャッチコピーで、本人の業績を説明する言葉ではない。
💣 これだけは言うな地雷
関の行列式にあたる方法を「完全に正しかった」と言うのは外れる。式の次数が上がるとプラスマイナスの扱いに誤りが出ることが、後の研究で指摘されている。「世界初」も断定しないほうがいい。ライプニッツの草稿の年代の読み方で結論が変わるので、「ほぼ同時期に、別々に到達した」が安全な言い方だ。もうひとつ、「関のおかげで日本の数学が世界水準になった」も危うい。上位の内容は門下の中に留められ、明治に西洋数学が入ると和算はほとんど入れ替わって消えている。
🕰 同じ頃を生きた人
