🎩知ったかぶり知識人入門哲学者・思想家・芸術家 / 30秒で語れる話

🧑‍🎓 知ったかぶり知識人入門

30秒で、賢そうな顔ができる。

岩崎弥太郎

岩崎弥太郎を30秒で知ったかぶるためのガイド。日本郵船は、岩崎の三菱と、政府と三井が立てた対抗会社の共同運輸が運賃を下げ合い、共倒れ寸前で政府の仲介によりひとつになった会社だ
岩崎弥太郎の肖像
💰 経済
1835-1885
岩崎弥太郎(いわさき やたろう)
岩崎弥太郎の決めゼリフ:日本郵船は、岩崎の三菱と、政府と三井が立てた対抗会社の共同運輸が運賃を下げ合い、共倒れ寸前で政府の仲介によりひとつになった会社だ
📌 30秒で分かる中身
土佐(高知)で、郷士の株を手放した「地下浪人(じげろうにん)」の家に生まれた三菱の創業者。藩の商売を扱う役人として長崎・大阪で船と商いを覚え、廃藩置県の前後に土佐藩の船と事業を引き継ぐ形で、1870年に九十九商会、1873年に三菱商会を興す。1874年の台湾出兵で政府の軍事輸送を引き受けて急拡大し、1875年に米国の太平洋郵船から横浜―上海航路の営業を買い取り、翌1876年には英国のP&Oも同じ航路から退かせた。1877年の西南戦争の輸送で立場は決定的になる。政府と組んで伸びた「政商」の代表として批判もされる。1885年2月7日、共同運輸との値下げ合戦の最中に胃がんで死去、満50歳。
✅ 使える知識
三菱グループの話、日本郵船の話題、東京の日本庭園を歩いている時に効く。渋沢栄一とセットで出すのが一番強く、「みんなで金を出し合う渋沢」と「一人の才覚で決める岩崎」という、日本の会社のあり方をめぐる二つの型の対立として語れる。
⚠️ 注意点
「一代で三菱財閥を作った」と言うと詰められる。弥太郎が生きているうちの三菱は海運が本体で、長崎造船所を政府から借り受けたのは死ぬ前年の1884年。造船・重工業の広がりも丸の内の街も、弟の弥之助や長男の久弥の代の話だ。「貧しい農民の出」も間違いで、家は武士の系譜をもつ地下浪人だった。
💣 これだけは言うな地雷
上野・池之端の「旧岩崎邸庭園」を弥太郎の屋敷として語ると外す。土地を買ったのは弥太郎(1878年)だが、コンドル設計のあの洋館が建ったのは1896年、弥太郎の死から11年後で、建てたのは長男で三菱三代目社長の久弥だ。スリーダイヤの由来も断定しないほうがいい。三菱の公式説明は岩崎家の三階菱と土佐山内家の三ツ柏を合わせたものとしつつ、由来ははっきりしないと断っており、三菱史料館の研究では、九十九商会時代の船の旗印だった「三角菱」の段階では三ツ柏を図案化したものと見るのが自然だとされている。
🕰 同じ頃を生きた人
岩崎弥太郎(1835-1885)と、同じ頃を生きた人を生まれた年の順にならべた帯グラフ
【PR】このページには広告を含みます
📚 岩崎弥太郎の本を楽天で見る
高峰譲吉← 高峰譲吉池田菊苗池田菊苗 →
← 一覧にもどる

※このページには広告(楽天アフィリエイト)を含みます。

関連するもの

📇 収録全150人インデックス(ジャンル別・ここから全ページへ)
語り口は軽く、中身は正確に。知ったかぶりは、正しい知ったかぶりだけ。
最終更新: 2026-09-01
ランキングに参加しています
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ