南方熊楠を30秒で知ったかぶるためのガイド。大学予備門で落第して中退。帰国後は大学にも役所にも属さないまま、神社合祀への抗議がこじれて18日間拘留され、後年は昭和天皇に進講した
🔬 科学
1867-1941
南方熊楠(みなかた くまぐす)
📌 30秒で分かる中身
和歌山生まれの博物学者。粘菌(変形菌)を追いかけ、キノコの彩色図を数千点描き、民俗学の文章も書いた。1884年に大学予備門へ入り夏目漱石や正岡子規と同期になるが、落第して1886年に退学。1887年に渡米、1892年に渡英し、翌1893年から大英博物館に通いつめた。『ネイチャー』には生涯で51本が載っている。1900年に帰国したあと1901年から那智の山に籠もって採集し、1904年に和歌山県田辺へ定住。以後は大学にも役所にも属さないまま研究を続けた。1906年から進んだ神社合祀(小さな神社を潰して数を減らす政策)に猛反対し、鎮守の森が伐られることを生き物のつながりの問題として論じた。
✅ 使える知識
森や里山の保全、生物多様性、開発と地元の話題で効く。100年以上前に「森を守れ」を生き物のつながりの問題として論じた実例として出せる。学歴も所属もない人の研究をどう扱うか、という話にも合う。夏目漱石と同期という切り口は、漱石の話題から自然につなげられる。
⚠️ 注意点
粘菌をキノコの一種として話すと、そこで止まる。見た目が小さなキノコに似ているため昔は菌類に入れられていたが、いまはアメーボゾアという別の仲間に置かれ、菌類でも植物でも動物でもない。逆に「粘菌の人」だけで終わるのももったいない。キノコの彩色図を数千点残した菌類の研究者でもある。
💣 これだけは言うな地雷
「日本で最初にエコロジーという言葉を使った人」と言い切るのは避けたい。訳語の「生態学」は1895年に植物学者の三好学が使ったとされ、熊楠がecologyと書いたのは1911年の柳田國男宛の手紙。熊楠が早かったのは語の紹介ではなく、その考えを自然保護の理由として持ち出した点のほうだ。もうひとつ、大英博物館の件を「クビになった」と話すと崩れる。雇われていないので解雇は起こりようがない。ただし1898年12月14日付で閲覧を永久に断つ通知を受けており、追い出されたこと自体は記録に残っている。
🕰 同じ頃を生きた人
